Tyの意思の強固さは伝説的といえる。
彼のデビューレコーディングはI.G. Culture's (New Sector Movement) の、あのOne Drop Inter Outerに収められている。これまでTony Allen, Terri Walker, Natasha Williams, Scratch Perverts, Afro Reggae そして Estelleと仕事をしてきたほか、多すぎてリストできないくらいのアルバム、シングル制作に関わってきた。Kiss (というロンドンローカルのダンスメジャーfm) DJのShortee Blitzは彼といっしょのユニットを組んでいて、Ty はTalib Kweli, De La Soul それにPlatinum Pied Pipersというそうそうたるメンツから招かれてマイクをシェアしてきたし、Lily Allenに引き合いに出されたり、Damon Albarnといっしょにパフォーマンスしたりしてきた。その他、栄えあるマーキュリーミュージックアワードにノミネートされたり、いくつかヒップホップアワードも取ったし、ラゴスでのナイジェリアンミュージックアワードやアゼルバイジャン、ラトヴィアでは賞の贈呈も務めたことがある。また、自身のヒップホップカルチャーへの視点を刑務所や学校に持ち込んだり、Newsnight(というBBCの時事問題番組、ブリティッシュカウンシルについての回)のスタジオでは,音楽カルチャースポークスマンとして発言もしている。
Ty の家族はナイジェリアからの移民、Ty はロンドン生まれだ。
両親が生活の安定のために、昼夜休み無く働いていたので、Ty は短期間里子に出されたこともあり、ポップミュージックにはまゆをひそめるナイジェリア風の厳しいしつけを受けて育った。その結果、Tyはせっせと親の目を盗んでは、60年代、70年代そして80年代の音楽をむさぼって聴くようになってしまった。「オレにはかえってそれがいい風に働いたよ。」と、Ty は振り返る。「歌とかメロディを覚えるのに中毒しちゃってさ、全然マトモじゃなかったよ!ジャンルなんてどうでもよくて、曲さえよけりゃ、アタマにしっかり刻み込まれるっていう具合だった。」
また、話し言葉/ポエトリーの分野に長年関わっているとともに、90年代にの「ゲットー文法機構」では中心的な役割を果たし、学校や周辺でワークショップを行ったりにも忙しい。「誰か他の人がやってくれるのを待つんじゃなく、自分たちで基本骨格を系統立てるってことの始まり、DIY 精神の始まりだった。アメリカのものの見方じゃなくて、ここの自分たちの考え方で、どう物事を進めていくかの始まりだった。
一番大切な学びだったのは、『自分自身でいる』ためには、絶え間なくその状態を意識していないとできないということだった。
最初にこの「自身でいる」ことを実際にやらなければいけなかったのが、"Hercules" や "The Tale"の収録されているデビューアルバム"Awkward"で、ゴタクばっかり並べたアーティストたちとは確実な一線を成した。マーキュリーにノミネートされた"Upwards"では全てのプロデュース作業を一手に引き受け、自分の日常とルーツを全てのアングルから照らし出し、ブラックブリティッシュとしてのポートレイトを、正直に、時に美しく紡ぎ出したものである。同じくノミネート候補だったミュージックレジェンドのRobert Wyattは、これを(賞候補の)ショートリストのお気に入りのレコードと公言、「ダイナマイト級」と評した。
素晴らしいライヴショウをひっさげて、Tyはモロッコから合衆国まで世界中の国々をツアーしてまわり、行く先々で熱狂的なファンベースを築いていった。特に合衆国での受けはすごいもので、Platinum Pied Pipersといった面々がファンになってしまっているほか、これまでのアメリカ人参加アーティストたち(De La Soul, Arrested DevelopmentのSpeech そして Bahamadia)はみんな個人的な友達になってしまい、このヴォックスホール(ロンドンのテームズ河すぐ南の界隈)ベースのミュージシャンのよき仕事仲間でもあるのだ。
www.myspace.com/tyandupwards
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